保育コラム

【臨床心理士コラム】しつけと大人の宿題

目次
はじめに
しつけとは
許せる力をつけよう
あなたは何が大事?
最後に

はじめに

 ここでは、"しつけに必要な大人のスキル"を2つあげて簡単に解説します。しつけをするという考えは、昨今の教科書ではあまりききません。いまの教育や保育、子育てはこどもの主体性を大切にします。しつけは、社会規範をこどもにおしつけるイメージが伴うので、主体性と矛盾するからだと思います。(あくまで私の個人的感想です)

 しかし、こどもが自由に生活するためにはルールが必要です。その意味でしつけは、こどもの主体性を尊重するために大人が最低限守らなければならないルールです。この大人がというのが重要です。もちろん最終的にはこどもが守るようになるのですが、まずは大人が譲れない線を持つこと。これが重要です。(下記項目 あなたは何が大事? を参照)

 もちろんあくまでこどもが自由にあるためが目的ですから、可能な限りこどもの活動を受け入れることが重要です。(こちらも下記項目 許せる力をつけよう 参照)

 ムスターカスという心理療法家は、その著書「児童の心理療法」のなかで、人と人との関係は、それぞれの人の限界(何ができて何ができないか)によって決定されると考えました。

 しつけをする際、私たちの限界を見つめることが重要です。
しつけの場面で私たちが感じたり考えたりしがちなことをノートにもあげています。よければ参考にしてください。

しつけとは

 辞書的な定義はさておき、しつけは漢字で身を美しくする、躾と書きます。自分がしたいかどうかは関係なく、他者が心地よく感じられるかどうかに主眼があり、極めて社会的な考え方です。
 英語にするとDisciplineですが、こちらは訓練とか規律という意味も含まれます。日本語で言うしつけには訓練とか規律といった、罰則を伴うような印象はありません。美意識に訴え、批判的な態度を嫌う反面、社会や文化に深く根差し、同じ共同体においては言葉を介さずとも信頼感や安心感を与えることができます

 しつけは日本の文化に強く影響を受ける言葉なので、一般化された教科書ではあまり語られないのかもしれません。特に今日の教育や保育において問題となるのは、しつけという考えが批判的な態度を嫌う傾向があるからです。
私たちは、日本というものの見方が絶対的ではないことを知っています。いや日本のなかでも様々な考え方を持つ人々が生活していることを知っています
一方的に、こうあるべきとおしつける保育や教育は、むしろこの社会のなかで生きづらさや問題を生む可能性があります。

 ではしつけはしなくて良いのでしょうか?私はそうは思いません。
むしろ、こども達に大人はそれぞれの価値観をはっきり伝えるべきだと思います。こどもは近くにいる大人の価値観をモデルにまずはこの社会のことをみるでしょう。そして、しだいに私たちの価値観だけで社会が回っているわけではないと気づきます。

 だいじなのは、そのとき私たちがこどもの戸惑いや傷つきを受け入れてあげることです。そして、こどもが私とは違う価値観で生きていくことを受け入れていくことです。

 これが、放任と違うことはわかりますか?
こどもが私の価値観を乗り越えていくとき、わたしは傷つきます。その私の傷つきを、大人である私がどう乗り越えるのか、それが重要です。

母親と娘

許せる力をつけよう

 こどもの保育や教育においては、こどもの主体性を尊重することが重要であると言われています。当然と言えば当然ですが、人に迷惑をかけてはいけないことも当然のことです。
つまり、こどもはなんでもしていいわけではありません。常に他者との関係のなかで行動は制限されています。

 こどもはそのような制限にぶつかるとイライラしたり、落ち着かなくなったりします。でもそれは仕方ありません。誰にもどうしようもできないことです。
 しかし、その気持ちを分けあうことはできますこどもの気持ちを共感するというと、こどもがイライラしていることや落ち着かないことに目がいきがちです。しかし、現実こどもがぶつかっているのは、どうしようもない事実です。

 「○○したいけど、残念だなあ。それでイライラするけど、どうしようもないなあ」というところまであって、それは共感です。もし、「○○したいんだね。イライラするんだね」だけだと、こどもからしたら、だからはやくなんとかしてくれ!という気分になりますよね。

 それを我慢しているこどもを励まし共感していくことが重要です。
こどもは無制限に活動できるわけではありません。どこかで壁にあたります。しかし逆にいえば、壁までの範囲では何をしても構いません

 それがこどもの自由です。こどもの自由のために制限があります。だから私たちは可能な限り幅広い制限をもたなければなりません。どうすれば、制限が広がるでしょうか?

それはここの問題によって様々です。
物理的な問題のときもあります。
私たちの気持ちの問題のときもあります。

 しつけというのは、極めて社会的で文化的なものでした。つまり、私が積み重ねてきた経験によって作られています。なぜ私は○○すべきだと思うのだろう?と常に問い続け、考えなければなりません。そして、もう少し幅を広げることは可能だろうか?と考え続けなけれなりません。

勉強中

あなたは何が大事?

 こどものしつけにおいて、可能な限り広い制限を設けることが大事です。けれども、一方でここからは譲れないという区切りも持たなければなりません。以前のブログやノートにも再三かいていることですが、枠組みがはっきりしていないとこどもは不安になります

 あなたが何者で何を許して、許せないのかわからなければ、こどもはどうしていいかわかりません。
ただ、園やグループの枠組みとは異なり、私自身の限界となると、人は意外と言葉にできないものです。なぜならその限界はその人にとって当たり前で、言葉にする必要すらないものだからです。

 こどもと関わる際、自らの限界が自覚できていないと、こどもが葛藤している意味がわからず(わがままを言っているだけに感じて)とてもストレスですもしそれを、「ああいま、私の限界にぶつかって葛藤しているな」と考えることができれば、少しだけ気持ちは楽になります。

 自らの限界を自覚すれば、もうすぐこどもの行動が限界にきそうだと気づけます。限界一杯までこどもを抱えてしまうと、私たちの余裕がなくなってしまうので、かえってこどもは不安定になります。

 これ以上は譲れない限界のまえに、こどもにこれ以上は進めないことを伝えます。

 こどもはイライラするかもしれません。あなた罪悪感をもつかもしれません。でもいいのです。それがあなたなのですから。こどももイライラしていいのです。それがこどもの気持ちなのですから。

 あなたはあなたらしく。こどもがこどもらしく。そのうえで、こどもとその葛藤をどうやったら乗り越えていけるか考えます。どういう答えがでるかは、状況次第なのでここで書くことはできませんが、余裕をもってこどもと葛藤できたなら、答えが見つかるまで悩むことができるはずです。

親子3人

最後に

 しつけに大事な大人のあり方について、制限を広げることと、制限を守ることの2つの側面から考えました。

 人と人の関わりはこの制限と葛藤の繰り返しです。

 あればいいということでも、なくなればいいということでもありません。こどもを通して見えてくるのは、そこに関わる私自身です。ああ、こんな人間なんだなあと、自分を受け入れることができれば、こどものことも受け入れることができるようになります。